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2008年4月12日 (土)

ペットショップは完全注文生産制をとるべき

 動物番組によく出てくる映像で、チーターなどの肉食獣がインパラなどの草食獣を襲いかかる瞬間を撮らえたものがある。

お茶の間の視聴者はそれを見て、〝やめて〟とか〝逃げて〟とかいう感想を持つ。

たとえそのチーターが5日間絶食状態であったとしても、飽和社会に生きる私たちがその状況を理解することは、インパラの危機を理解することよりもはるかに難しい。

それはわかる。

でも、ちょっと視線を落としてみると、食卓の上には食べ残したステーキがあったりする。

そこには、多少の矛盾を感じずにはいられない。

 家畜産業をなくしてベジタリアンになれ、などと言う気はない。

私も肉が大好きだし、肉を調理する度にその動物の死を悲しむのはバカらしい。

でも、その切り身の肉が、ついこの前までは命の一部であったことを忘れてはいけない。

切り身のなる木などないのだ。

そして、自分が肉を食べ残すことによって、無駄に命が消費されていることを知らなければならない。

仕留められたインパラは、決して無駄になることはない。

 知らないことは大罪だ。

あなたは全国の保健所で、どれだけの数の動物が処分されているのか知っているだろうか。

その処分方法を知っているだろうか。

私はそれを知って愕然とした。

知らなければ良かったとさえ思った。

だが、現実から目を背けることはできない。

背けることは、自分の手で動物を殺すことと変わりない行為だと思う。

 ペットショップで売れ残った子たちはどうするのか?

 あえて〝子〟と表現した。

なぜなら、たいていのペットは4ヶ月をすぎると商品としての価値がなくなるからだ。

4ヶ月など、人間ならまだ幼稚園に入る前くらいの年齢だ。

そんな子たちが、処分施設に送られたり、肉食獣のエサにされたり、動物実験の実験台にされる。

 〝どうしてそんなことを〟多くの人がそういう感情を抱くだろう。

しかし、それは自分には関係ないという思いこみからの感情だ。

あなたはペットショップに行き、ガラスのケースに入った〝子〟たちを見て、カワイイと思ったことがあるだろうか。

もしあるとしたら、それがいつまでたっても処分が減らない大きな原因の一つだ。

 ペットショップは経営されている。

国民のために慈善事業で行っているわけではない。

洋服や本や家電製品と同じ扱いなのだ。

経営者としては売れる物をたくさん並べたいと考え、ブランドやサイズや使い勝手の良さを世間のニーズから判断する。

でも、すべてのマーケティングが上手くいくとは限らない。

流行は廃れやすいから、ときに在庫が大量に余ることがある。

場所代やエサ代のことを考えれば、売れない子は値下げしてでも早く退かしたい。

それでもダメなら処分を考える。

(人としての感情を別にして)経営者としてはゴミ箱に捨てて、タダで処分してもらいたいところだろうが、それでは〝廃棄物〟処理法違反で罰せられるから、なくなく費用を負担して処分する。

 針金が巻き付いた野良犬や、矢が刺さったカモが報道されることがあるが、処分場で生きたままガス穴の中に自動的に落とされていく動物たちが報道されることは滅多にない。

あるとすれば、一日平均の処分数ぐらいだろう。

臭い物には蓋をしてきた現代人にとってそれは、刺激が強すぎて気分を害することになるだろう、という報道側の配慮があるのかもしれない。

 以前に、〝崖っぷち犬〟としてもてはやされた犬がいたが、あれを見て私は空想した。

保健所の動物たちが、あの崖のマス目に一匹づつ並んでいる光景を・・・。

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