自分のために生きるべき
〝社会のために〟〝人様のために〟〝愛する人のために〟
言葉としての聞こえはいいが、そこには絶対的に足りないものがある。
それは自分自身という存在だ。
自分勝手に生きろ、ということを言いたいのではない。
どんなことも自分で始まり、自分で終わらなければ価値はないということだ。
例えば、コンビニのレジ横の募金箱に100円を募金するとする。
どうしてその人物は募金をしたのか。
〝困った人のためになれば〟という感情があったからかもしれないが、それだけでは絶対に募金は出来ない。
なぜなら、人間の感情はもっと複雑だからだ。
もしその感情だけで募金したのなら、財布の中身すべてを募金しなければおかしい。
そのほうが、よりいっそう困った人の役に立つのは明らかなのだから。
でも、そこにはやはり自分という存在がある。
財布の中身をすべて募金したら、困るのは自分だ。
少し嫌な言い方をすれば、困った人を助けたいという気持ちを募金という形で解消する、募金をしたことで自分の存在価値が生まれたような気分になる、ただ単に小銭を減らしたいから募金をする、そのような感情が複雑にからみあって人は行動に出る。
意識はしていなくても、そこには必ず自分の存在価値としての利益がある。
利益第一主義をとれと言いたいのか?
厳密に言うところの利益第一主義だが、一般的に思われている利益第一主義とはだいぶ違う。
例えば、一般的に思われている悪いイメージの利益第一主義をとるとする。
すると社会通念の中であらゆる不都合が生じ、その結果として、尻ぬぐいをしなければならないはめになる。
人の物が欲しくなったからといって盗めば、逮捕されるという不利益を被る可能性が生まれる。
偽装をして企業価値を上げれば、そのうち謝罪会見を開くことになるかもしれない。
ポイ捨てをすれば、自分の生活環境を汚すことになるかもしれないし、誰かに見られて非難されるかも知れない。
さらに突き詰めて考えれば、あとになって自分自身の心が痛むかもしれないし、痛むことすらできないという不利益になるかもしれない。
つまり、自分から始まり自分で終わるというサイクルの中で、社会通念のすべてを考慮に入れた利益が大切ということだ。
〝人様の幸せを妬むな〟
私の好きな言葉である。
人の幸せを幸せと思うことは、自分自身が幸せを手に入れることだ。
自分のために生きることは決して恥ずかしいことではない。
むしろ、それが生きることのすべてだ。
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コメント
この前、レジに並ぶ列に、平気で割り込む白髪のおっさんを見て思った。この世は無神経な人間ほど生きやすい。感受性豊かな人間ほど生きにくい。
毎年自殺者3万人も出しているこの国は、将来、機械人間ばかりの国になる。政治家のおっさんたちに、無神経な人間の住みにくい世の中をつくってもらいたいものだが、つくる側の人間が機械人間ばかりなのだから、どうすることもできない。
一番厄介なのは、無神経のくせに自分は感受性豊かだと思っている連中だ。どういう人生を歩んできたか知らないが、もっと謙虚に生きてくれ。これ以上豊かな人間を殺さないでくれ。
投稿 | 2008年4月 9日 (水) 16時14分