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2008年4月 8日 (火)

学歴を得ることで、失う物はありますか?

 大学に入学を決断するとき、たいていの人は〝失うこと〟があることに目を向けない。

とりあえず大学を出ておけば一人前になれる気がする。

ちょっと知れた大学ならば、これからの人生胸を張って生きていける気がする。

では、本当に得る物ばかりなのだろうか。

 最近、爆笑問題の太田光が気になる。

なぜ気になるのかと言えば、彼の発言に共感できる部分がたくさんあるからだ。

NHKや日本テレビなどで、今までコメディアンがあまり入り込もうとしなかった政治や教養といった分野にまっこうから勝負を挑もうとする姿勢、これが私の心を揺さぶった。

彼は日大芸術学部を1単位も取らずにやめている。

学歴のない彼が、立派な学歴のある人物に勝負を挑もうとする姿は、まるで竹槍でアメリカ軍に挑もうとする学徒隊を連想する。

しかし、その竹槍はときに鋼鉄の鎧を突き破る。

それは竹槍が特殊というよりも、鋼鉄の鎧を着た人間のおごりがそうさせる。

いくら良い素材を使っていても、手入れをしなければ竹槍ですらそれを貫く。

貫かれた人間は、現実を受け入れられず、右往左往する。

それを見て、太田光は笑っているだろうか。

いや、それは違う。

彼は竹槍で突く行為を良しとしていない。

本当は攻撃ではなく、自己表現で相手を右往左往させたいと考えている。

そこにまた魅力がある。

 彼は突拍子もないことを言って、相手を怒らせる。

その態度が時に人から非難される。

しかし、彼はやめない。

なぜなら、怒らせたことで出てきたボロにこそ、真理に近づく手がかりがあることを知っているからだ。

高貴なものは高貴なままで終わらせてはいけない。

そのままでは必ずおごりが生まれ、退廃していく。

高貴なものを一般市民レベルにまで引き下げ、誰もが使える道具としての幅を拡げなくてはならない。

それこそが現代社会に失われつつあるもので、彼にはその足がかりを作る能力があるように思う。

 本題に戻すと、物事を咀嚼し引き下げる能力は、高貴なものを身にまとった人間にはなかなかできない。

気づいたとしても表現を怠るか、表現できない人間が多い。

一般市民レベルの表現を知らないがために、高貴なままの物事を身にまとって、身動きが取れない状態にいる。

それよりも深刻なのが、自分が身にまとっているだけだということに気づいていない連中だ。

大学は、そういった連中を流れ作業で作り上げているだけのように見える。

もちろん、その中からは素晴らしい人材もたくさん生まれる。

しかし、彼らは大学によって作られたわけではない。

大学で身につけた道具を、自らの力で使い始めることができた人たちだ。

たくさんの良質な道具を腰にぶら下げた大工が、良い家を建てるとは限らない。

逆に、どれだけ知識が豊富な大工でも、道具がなければ家は建たない。

必要な道具が揃ったら、流れ作業のレールからいつでも抜け出せ、足りないと思ったらまたレールに戻れる、そんな仕組みが今の大学には求められているのではないか。
 

 

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