学問・資格

2008年5月 9日 (金)

頭の良さとは

 〝頭の良さ=記憶力〟

現代社会では、たいていの場合こういった認識を持たれがちだ。

しかし、本来の意味での記憶力は、知識を蓄える手段でしかない。

〝頭の良さ〟はその先にあるはずだ。

 記憶力のみによって〝頭の良さ〟を判断するのなら、人間はコンピューターに勝てない。

では、人間はコンピューターより頭が悪いか?

答えは×だ。

なぜなら、コンピューターをつくったのが人間だからだ。

人間が神を超えられないように、コンピューターも人間を超えられない。(哲学者のなかには、「人間はコンピューターに使われている」と言う人もいるが、それは資本主義社会という制度のなかでの話だ)

 では、人間とコンピューターの違いは何か?

それは創造する力。つまり、蓄えた知識を使って新たなものを生み出すことだ。

極端に言えば、世界一難しい数式を解くよりも、〝1+1=2〟という数式を生み出すほうが頭が良いことになる。

〝クイズ番組で全問正解したからすごい〟というような感情は、結局のところ一芸に拍手を送ることと大差ない。

 〝知識〟は土壌を肥やす肥料のようなものだ。

多くても少なくても、植物はうまく育たない。

たくさん知識を蓄え、それを整理し、不必要なものは捨てていかなければならない。

やたらめったら肥料をぶち込んで、ただ待っているだけでは芽は成長しない。

そんなことをしていては、痩せた土壌でも一生懸命芽を育てようと努力している人間に、すぐ追い越されるに違いない。


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2008年4月 8日 (火)

学歴を得ることで、失う物はありますか?

 大学に入学を決断するとき、たいていの人は〝失うこと〟があることに目を向けない。

とりあえず大学を出ておけば一人前になれる気がする。

ちょっと知れた大学ならば、これからの人生胸を張って生きていける気がする。

では、本当に得る物ばかりなのだろうか。

 最近、爆笑問題の太田光が気になる。

なぜ気になるのかと言えば、彼の発言に共感できる部分がたくさんあるからだ。

NHKや日本テレビなどで、今までコメディアンがあまり入り込もうとしなかった政治や教養といった分野にまっこうから勝負を挑もうとする姿勢、これが私の心を揺さぶった。

彼は日大芸術学部を1単位も取らずにやめている。

学歴のない彼が、立派な学歴のある人物に勝負を挑もうとする姿は、まるで竹槍でアメリカ軍に挑もうとする学徒隊を連想する。

しかし、その竹槍はときに鋼鉄の鎧を突き破る。

それは竹槍が特殊というよりも、鋼鉄の鎧を着た人間のおごりがそうさせる。

いくら良い素材を使っていても、手入れをしなければ竹槍ですらそれを貫く。

貫かれた人間は、現実を受け入れられず、右往左往する。

それを見て、太田光は笑っているだろうか。

いや、それは違う。

彼は竹槍で突く行為を良しとしていない。

本当は攻撃ではなく、自己表現で相手を右往左往させたいと考えている。

そこにまた魅力がある。

 彼は突拍子もないことを言って、相手を怒らせる。

その態度が時に人から非難される。

しかし、彼はやめない。

なぜなら、怒らせたことで出てきたボロにこそ、真理に近づく手がかりがあることを知っているからだ。

高貴なものは高貴なままで終わらせてはいけない。

そのままでは必ずおごりが生まれ、退廃していく。

高貴なものを一般市民レベルにまで引き下げ、誰もが使える道具としての幅を拡げなくてはならない。

それこそが現代社会に失われつつあるもので、彼にはその足がかりを作る能力があるように思う。

 本題に戻すと、物事を咀嚼し引き下げる能力は、高貴なものを身にまとった人間にはなかなかできない。

気づいたとしても表現を怠るか、表現できない人間が多い。

一般市民レベルの表現を知らないがために、高貴なままの物事を身にまとって、身動きが取れない状態にいる。

それよりも深刻なのが、自分が身にまとっているだけだということに気づいていない連中だ。

大学は、そういった連中を流れ作業で作り上げているだけのように見える。

もちろん、その中からは素晴らしい人材もたくさん生まれる。

しかし、彼らは大学によって作られたわけではない。

大学で身につけた道具を、自らの力で使い始めることができた人たちだ。

たくさんの良質な道具を腰にぶら下げた大工が、良い家を建てるとは限らない。

逆に、どれだけ知識が豊富な大工でも、道具がなければ家は建たない。

必要な道具が揃ったら、流れ作業のレールからいつでも抜け出せ、足りないと思ったらまたレールに戻れる、そんな仕組みが今の大学には求められているのではないか。
 

 

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2008年4月 7日 (月)

絶対記憶定着術

 わたしはこの方法で、行政書士、宅建、ビジ2級試験に受かりました。もちろん参考書のみの完全独学です。

 方法は簡単。

 まず、受けたい資格の過去問集を手に入れてください。年度別ではなく、体系別にわけられているものがいいです。

 次に、頭の中に風景を用意してください。どこでも構いませんが、近所などよく知っている場所のほうがいいです。初めは、写真などを用意しておくのもいいでしょう。

 過去問集にざっと目を通し、多くページが割かれている項目、つまり論点が複雑な項目をチェックしていきます。例えば、民法でいうところの〝意思表示〟〝代理〟〝抵当権〟、会社法でいうところの〝設立〟〝機関〟〝株主総会〟などです。

 その項目の先頭のページを開くと、いつでもその風景を思い出せるよう、なにか自分なりの説明を書いておきます。写真があればそれを挟むなり、貼るなりします。〝その場所=その項目〟という構図を作るのです。項目内容と場所を関連づける必要はありませんが、もちろん一項目に一風景です。きれいな風景ではなく、日常の風景がいいでしょう。その場所が、その項目のテリトリーということになります。

 法律には必ずといっていいほど、人や物が登場します。つまり、そのテリトリーで物語をイメージするのです。言葉を記憶するのではなく、映像を記憶する。すると、その映像が手がかりとなって言葉が表れます。実体法と違って手続法はなかなか人や物のイメージが掴みにくいですが、慣れてくると、人物が登場していなくても、代替物を頭が勝手に作り出すようになります。そういう方法を使えば、法律以外の試験にも使えるかもしれません。

 ちなみに、私のテリトリーを紹介しますと、〝駅のターミナル=代理〟〝その横の銀行前の路地=信託〟〝家の階段下の並木道=意思表示(主に確定日付ある通知)〟〝その並木道の横の通路=詐害行為取消権〟といった具合です。何も見なくても、場所をイメージするだけで言葉や論点が出てきます。すぐに記憶できるようなものは、勝手に風景から出ていき、次第に自分の苦手なものだけがそこに留まるようになります。 試験を受けて三年ほどが経ちますが、いまだにその場所に行くと記憶した項目を思い出します。だいたい20ぐらいは残っているでしょうか。なにげなく散歩していると、ときおり法律用語が頭に飛び込んできて、困ったものです。

 最後の忠告として、いま説明した方法は記憶定着術であって簡単記憶術ではありません。楽して記憶する方法はないのです。時間をかけ、継続し、何度も繰り返すことでしか記憶はできません。でも、楽しんで記憶する方法はいくらでもあります。忘却を恐れず、試験の先を見据えて勉強したいものです。

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