心と体

2008年6月 3日 (火)

プレッシャーをコントロールする

    プレッシャーとは
     
 まず初めに、プレッシャーをコントロールする上での大原則として、プレッシャーは必要不可欠なものだと認識しなければなりません。

プレッシャーは、苦しむためにあるのではありません。

背筋を正すためのものであったり、集中力を高めるためのものであったり、ときに死の淵から救うためのものであったりします。

重力が身体の維持に欠かせないものだとしたら、プレッシャーは精神的な面の維持に欠かせないものでしょう。

しかし、地表にいる限り重力は一定なのに対して、プレッシャーは時と場合によりまちまちです。

ときにそのプレッシャーに押しつぶされて、大失敗をしてしまうことがあります。

過大なプレッシャーが精神面だけでなく身体面にも影響を与え、暴走していますのです。

 では、なぜそのようなことが起きてしまうのか。

〝精神的な面が弱いから〟という常套句を用いる人がいますが、私はそうは思いません。

プレッシャーは外から与えられると思われがちですが、実際は自分自身が作り出しているものです。

ですから、精神的な強さや弱さというよりは、〝自分が置かれている状況に対して、プレッシャーのかけ方のバランスが悪い〟ということになります。

〝バランスが悪い〟というのですから、自分が置かれている状況に対してプレッシャーが弱すぎるという失敗もあります。

例えば、大事な日に遅刻したり、サボっていたせいで結果が出なかったり、同じ間違いを何度も繰り返したり。

しかし、それらの失敗は消極的な失敗であり、行いを改めればすぐに改善できることです。

問題は、過度のプレッシャーによる失敗です。

    プレッシャーのコントロール方法

 過度のプレッシャーで失敗する人の多くは、プレッシャーをかける場面で常に最大限のプレッシャーをかけてしまいます。

後になってみたら、あんなにプレッシャーを感じる(かける)必要はなかったなと思うことがよくあります。

それは、自分のプレッシャーをコントロールできていない証拠です。

プレッシャーがONかOFFかという二つの選択肢では、多くの場面で過剰気味になってしまいます。

プレッシャーを軽減する方法として、手のひらに「人」という字を書いて飲み込む、という方法もありますが、それは条件反射による無意識の対処方法であり、コントロールしているとは言えません。

 まず、プレッシャーを10段階に分けます。

そして、「0」は自宅でくつろいでいる時のプレッシャー、「5」は会議でプレゼンをする時のプレッシャー、「10」は生死に関わる瞬間のプレッシャーといった具合に、あらゆる場面での自分の状況を客観的に判断し、自分なりにバランスが良いと思うように、プレッシャーにランク付けをしていきます。

このとき、「10」は今まで味わったことのないほど大きなプレッシャーという位置づけにしておきましょう。

それから、今までの過度なプレッシャーによって失敗したときのことを思い出して、その客観的な数字と本来あるべきだと思う数字とを比べます。

その差が失敗の原因ということになります。

そうやって、自分独自のプレッシャーメーターを作ります。

 そして、今度は実践です。

実際にプレッシャーがかかる場面に出会したら、その状況にいる自分が本来あるべきだと思う数字を意識します。

それが今の自分がかけるべきプレッシャーの数値です。

それを繰り返すことによって、プレッシャーを理想の数値にもっていくことができるようになります。

初めはなかなか難しく、何度も経験しなければできないことですが、少なくとも、理想のプレッシャー数を客観的な指標で判断できれば、過度なプレッシャーも落ち着いてくるでしょう。

そして、いずれはバランスの良いプレッシャーを常に自分に与えることができ、どんな物事にも悔いなく対処できるようにします。


 

 

 


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2008年5月15日 (木)

死にたい気持ちを和らげる方法

 〝死にたい〟と思うことは、人間が思考することができるようになったことに対しての、最大の副産物だ。

だから、〝死にたい〟と考えてしまっている自分に対して、決して卑屈になる必要はない。

むしろ、正常な証と捉えるべきだ。

 しかし、やはり〝死〟というものは恐ろしい。

できれば関わりたくないものである。

それが正常だとわかっていても、そのことばかり考えていれば、心身ともに衰弱するのは目に見えている。

正常な思考のせいで自分を殺してしまっては、元も子もない。

 〝死にたい〟という気持ちを完全に無くす必要はない。

これは個人的な考えだが、死に対して向き合うことのできない人間は、魅力のない人間だと思う。

そもそも、そんな奴がいるのかどうかも疑問だ。

 他人がどれくらい〝死〟について考えているのか知らないが、自分はかなり重傷なほうだと思う。

本当につまらないことで、よく〝死にたい〟と考えてしまう。

ひどいときには、「あ~、死にたい」と独り言が無意識に出て、それに驚き、そして落ち込む。

 そこで、どうにかしてこの気持ちを和らげる方法はないか、と考えた。

方法は二つある。

 一つ目は、思考を停止させることだ。

わたしは座禅をおすすめする。

座禅ときくと難しそうに思えるかもしれないが、形式張る必要はない。

なるべく静かな部屋の真ん中に座布団を敷いて、その上に適当に座って目を閉じ、無になることに集中する。

しかし、一度やってみればわかるが、人間、何も考えないということは非常に難しい。

でも、やってみる価値は絶対にある。

無の境地は、空中を漂っているような感覚らしい。

他にも、誰かとお喋りしたり、スポーツなどで体を動かすことも効果的だ。

思考は案外不器用で、何かと同時にするのが難しい。

 二つ目は、〝死にたい〟という気持ち以上に〝生きたい〟という気持ちを起こさせることだ。

単純なことだが、多くの人はこれを実感できていない。

それはなぜか。

〝生きたいと思えるようなことがない〟と考えてしまい、考えることを放棄してしまうからだ。

「一等の宝くじを当てる」「最高にルックスの良い恋人をつくる」「社長に昇進する」

こんな夢物語のような出来事が起こったならば、きっと自分は〝生きたい〟と思えるようになるだろう。

そう考える人も多いかもしれないが、それは大きな間違いだ。

欲望の達成や挫折は、死を現実化させる。

極端に言えば、欲望の先にさらなる欲望がないのであれば、欲望は達成しないほうがいい。

ステップアップではなく、ジャンプアップを狙った欲望は、挫折したときに大きな衝撃があるから、避けたほうがいい。

つまり、〝生きたい〟という感情は、〝欲望を満たしたい〟という感情の持続によって生まれるものなのだ。

だから、その対象物が夢物語である必要はない。

あなたの周囲を見渡して欲しい。

そこにあるすべてのものが、今までのあなたの〝生きたい〟という気持ちを持続させてきたものだ。

そういう一つ一つが今の自分をつくっている。

 ルーマニアのある移住民族は、「一つ一つの呼吸に感謝しろ」という教えを守っている。

消費社会に生きるわたしたちは、生きることの実感を他者にのみ求めてきたのかもしれない。

しかし、本来は自分自身に求めるべきだ。

一つ一つの呼吸に感謝することができたら、〝生きたい〟という気持ちは死ぬまでなくならないだろう。

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2008年4月10日 (木)

自信満々な夜、不安に押しつぶされそうな朝

 小さなパン屋で働くアルバイトの女性に恋をした。

私がまだ高校に上がる前の話だ。

たまたま通りかかった際、ふと外から窓越しに店内を見やると、高校生くらいの女性がレジを打っている姿が見えた。

その店の売り場はほんの六畳ほどのスペースしかなく、店に入ったら最後、その子に自分の動揺がばれてしまうんじゃないかと思い、とてもじゃないが入っていく勇気はなかった。

それでもその子の存在が忘れられず、用もないのに前の路地をウロウロしては店のほうに目をやっていた。

 ある日の夜、どうにかしてその子に思いを伝えられないかと思い、ラブレターを書くことにした。

きれいめなレター用紙を押し入れから探し出し、あーでもない、こーでもない、と何度も下書きをしながら、ついに完成した。

そのころには、もう深夜二時をまわっていたと思う。

それでも気持ちは高揚していて、布団に入ってからも、どういうふうに渡そうかと頭の中でイメージを巡らせていた。

 朝になって目を覚ました私は、自分が書いたラブレターを読んで恥ずかしさのあまり絶句した。

冷静さを取り戻した頭は、いっさいそれを受け入れようとしなかったのだ。

ラブレターはその場でビリビリに破いた。

家のゴミ箱では家族に見つかってしまうと思い、私は近くのコンビニを数軒まわって、何回かに分けてそれを捨てた。

 朝の脳みそはとても優等生だ。

だから、勉強や創作活動は朝にやるのが効率が良いそうだ。

その反面、現実感がとても鋭く、ナイーブで傷つきやすい。

 夜の脳みそは自信過剰な暴走野郎だ。

非現実的世界に近い観念を抱きやすく、映画を観たりSEXをしたりするのに適している。

その結果、つまらない女と取り返しのつかないことになったりする。

 早起きは三文の得とはよく言ったものだ。

朝飯前という言葉は一説には、朝飯を食べる前ほどの早い時間に行えば物事は簡単に片づけられる、という意味から来ているという。

ニートに夜型の人間が多いのも、こういった脳の状態の作用からきているのではないか。

 現代社会では朝型の脳が重宝される傾向にある。

しかし、私個人の意見としては、面白みがあるのは断然夜型の脳だ。

夜型の脳のせいで不細工な女と寝てしまい、朝型の脳がそれに気づいて狼狽えている姿を想像すると笑える。

こんな面白い物語は他にない。

その後の朝型の脳のあわてた行動が知りたくなる。

 面白みがあるというのもそうだが、世界を大きく変化させることができるのもまた夜型の脳だ。

政治家や官僚がどれだけ束になっても、オタク文化には到底及ばない。

今現在、夜型の脳は朝型の脳から批判を受けやすい構図にあるが、そんなことを気にする必要はない。

この世を面白くするのも、つまらなくするのも夜型の脳であり、朝型の脳はそれに乗っかって無難に事を進めることしかできない。

もっと自分の夜型の脳を可愛がってやるべきだ。

 
 

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