本屋に行って、棚をなにげなく見てまわっていたとき、ある本が目にとまった。
「学歴のある人間に仕事力があるとは限らない。むしろ、青少年期に勉強だけに縛られず、多くの経験をしてきた人間のほうが仕事力がある可能性が高い。だから、官庁は腐りやすく、中小企業は底力がある」
学歴のない私はそれを読んで、なるほど、いいことを言うな、と共感した。
ざっと一通り読んだ私は、最後のページにある作者紹介のページを開いた。
「○○大学経済学部卒」
誰もが知る、超有名な大学名がそこにあった。
それを知った私は、どこか腑に落ちない気持ちだった。
名門大学出身が悪いわけじゃない。
ある程度他人から評価されるくらいの人物じゃないと、こういったたぐいの本は出版できないだろうし、もし学歴のない人物が筆者だったら、ただの嫉妬と捉えられかねないだろうから。
でも、本の内容が学歴を真っ向から批判するものなのだから、せめて学校名は伏せておくべきではなかったのか。
学歴なんて気にしない、学歴で人は計れない、そう考えてる人が大半だろう。
しかし、理屈ではわかっていても、ないよりはあったほうが良い、と思うのもまた事実。
それが、いつまで経っても学歴至上主義がなくならない一番の要因だということになかなか気づかない。
ひと昔前の多くの創造者は、人の言うことを鵜呑みにして作られる学歴に危機感を抱いていたという。
だから、学歴がなくても、歴史に残る偉業を果たした人物はたくさんいた。
しかし、今の時代、学歴=偉業という構図があちらこちらに溢れている。
芸術の分野ですら例外ではない。
どうしてそうなってしまったのか。
それは、学歴のある人間のほうはチャンスが多いからだろう。
学歴のない人間は、同じスタートラインにすら立たせてもらえないのだ。
どうしたらこの状況から脱出できるのか。
それは非常に厳しい。
なぜなら、この社会を作った人間たちが、学歴社会の産物だからだ。
これを否定することは自分たちを否定することに他ならない。
わざわざ自分の首をしめるようなマネのできる人物がいたら、お目にかかりたいものだ。
本当に脱出したいのなら、学歴のない人たちで新たな社会を作るか、自らが学歴を手に入れて殴り込みを図るしか可能性はないのではないか。
でも、どちらにしても現実的ではない。
きっと、イタチごっこになるだけだろう。
本来は、知識が創造をジャマすることもあることを知っておかなければならない。
どんなに知識を頭に詰め込んでも、パソコンには太刀打ちできないことを意識しておかなければならない。
「頭が良い」というのは、持っている知識をいかに料理して創造するかである。
どんなに高級食材ばかりを集めても、やたらめったら鍋にぶち込んではただの闇鍋である。
いくら言っても、学歴のない凡人発信の言葉では、やはりただの嫉妬からの戯言に聞こえる。
無記名でないと主張できない自分が悲しい。
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